29.1.20

耳の対称性というフィクション

耳、は左右にひとつずつ 両方あわせてふたつありいわば「同じもの」が1セットある、という呈で扱われているように思う。ヘッドフォンは二つの出力を持ち、スピーカーは基本的に二つ左右に配置される。それらは耳の対称性をふまえた作りになっていると思われる。

ところが実は、耳それら自体については必ずしも「まったく同じものがふたつ=1セット」身体に備わっている、というわけではない。

例えば自分には「利き耳」があるが、言語については左耳、音については右耳がそうなのである。コールセンターでアルバイトをしていたとき、自分以外すべての人が右耳にヘッドセットをつけていたが、自分は左耳だった。右耳につけると、相手の言う言葉がまったく聞き取れなかった。耳管開放症になったのは左耳で、高音や騒がしい音に弱いのは左耳だが、音楽をよく聴き取れるのは右耳である。

耳をすませばすませるほど、左右の耳の非対称性が(比喩的にいえば)見えてくる。だが世間の出音装置は、左右の耳に均衡がとれているというフィクションのもとにしつらえられている。音楽の中にさらに「左右」という定位を設定するのは、フィクションの中にさらにフィクションを入れ込むようなものではないかと考えている。