明日3月18日(火)、オペラシティリサイタルホールにて、坂本光太さんによるリサイタル「B→C バッハからコンテンポラリーへ」が開催されます。
大変嬉しいことに、その中で坂本さんに過去演奏していただいた拙作の改訂版《あるチューバ/テューバについての物語》(2021/2024)が、坂本さんのテューバと杉山萌嘉さんのピアノによって演奏されることとなりました。
**********
B→C バッハからコンテンポラリーへ 270 坂本光太(テューバ)
日程|2025年3月18日[火]19:00
会場|東京オペラシティ リサイタルホール
出演|坂本光太(テューバ)
共演|杉山萌嘉(ピアノ)
長洲仁美(パフォーマンス)
山﨑燈里(パフォーマンス)
和田ながら(演出)
甲田 徹(音響)
曲目|J.S.バッハ:カンタータ第12番《泣き、歎き、憂い、怯え》BWV12から「シンフォニア」
J.S.バッハ:ソナタ ト短調BWV1030b
久保田 翠:あるチューバ/テューバについての物語(2021/24)
山﨑燈里:黒い帯(2021)
和田ながら/坂本光太:新作(2025、世界初演)
カーゲル:アーテム (1970)
グロボカール:エシャンジュ(1973)
ご予約・詳細
>>https://www.operacity.jp/concert/calendar/detail.php?id=16418
**********
せっかくの機会ですので、この作品の成立過程を書いておきたいと思います。
坂本さんとはパフォーマンスグループ「実験音楽とシアターのためのアンサンブル」で初めてご一緒しました。2017年、出会って早々にヨーロッパツアーに参加しました。その時の演奏動画はいくつか既にYoutubeに上がっています。
河野聡子 Satoko Kono - Spin Cycle (2017)
https://www.youtube.com/watch?v=4NAr8SNFqyc
一柳慧 Toshi Ichiyanagi - Sapporo (1962)
https://www.youtube.com/watch?v=oSXIXm795Yw
久保田翠 Midori Kubota - 東京特許許可局 Tokyo Patent Approval Office (2017)
https://www.youtube.com/watch?v=M07SD8tWYYk
この時点で他のメンバー同士はある程度一緒に演奏した経験があったわけですが、そこに新たにやってきた坂本さんは恐るべき柔軟さと高度な身体技術、ご本人の親しみやすいキャラクターとが相俟ってあっという間にアンサンブルに溶け込んだのでありました。
その後何年か経ち最初にソロ曲のご依頼をいただいた時、作品の「内容」についてはその時点でどうなるかわからなかったにせよ、演奏結果として坂本さんご自身のありようが感じられるような作品を作りたい、と思いました。坂本さんと直接お話になったことのある方には伝わると思うのですが、坂本さんは大変実直で音楽に対し誠実で、かつ声・話し方とか身のこなしに坂本さんらしい、えもいえぬ魅力があるのですよね。そうしたものが(第一目的ではないにしても)どうしようもなく現れてしまうような、坂本さん「が」演奏することに意義のある作品にしたいと考えました。
ちょうど当時作曲していた時期に、話すという行為にも興味があり、濱口竜介監督の作品(『ハッピーアワー』『寝ても覚めても』)や著書『カメラの前で演じること』(左右社、2015年)に関心を抱いていたこと、わたし自身のアルバムにおいて「ドキュメンタリー」について考えていたこと、昔から好きなタランティーノ作品における冗長なおしゃべりを作品に転用したいなと考えたこと、などが絡みあって、最初の作品《あるチューバについての物語》(2021)が完成しました。坂本さんは話しながら演奏をしますが、その言葉はテューバという楽器についての説明であったり、自分自身の過去についてであったり、観客に対する問いかけであったり、坂本さんの行為についての説明であったりします。
その後改訂を重ねるたび、経過した時間を踏まえた記述を加えており、今回は演奏会にメタ的に触れる箇所があります。
リハーサルに先日伺ってびっくりしたのですが、この数年を経て、坂本さんの発話の様子が初演とはかなり変化をしているのですよね。もとより坂本さんご自身の発話の響きを反映させることが作品の目標のひとつでもあるので、そうした変化自体が作品のなかで生き生きと生じるのは願ったり叶ったりなのですが、ある作品を重ねて再演するということの意義を深く感じたのでした。
最後に、上にあげたいくつかのインスピレーション源について少し触れたいと思います。
濱口竜介監督は準備段階におけるセリフの扱い方について有名ですが(『ドライブ・マイ・カー』の中で演技という形でその方法を目にすることができる)、発された言葉の中に何事かが生じてしまう、そのような瞬間を撮影過程において準備する(そして映像にとらえる)というところに魅力があると思います。「実験音楽とシアターの〜」でパフォーマンス作品に取り組んできたときにも、そのような「何かが起こるのに立ち会うこと」ということへの興味がわたしの中に醸成されたわけですが、その興味が、より言葉に注目をした作品へと発展したかなと感じます。
「ドキュメンタリー」についてですが、本作で坂本さんは坂本さん自身について語る場面があるのですけれども、その中には真実もあり、わたしの書いた言葉を通じて多少の誇張やフィクションになっている「であろう」ところもある。そもそもドキュメンタリーというものがフィクションでもあるわけで、語られたことがフィクションとドキュメンタリーの間を彷徨うような、そんな言葉のありようになっているかと思います。そしてそのような曖昧な言葉のありようは、逆説的に聞こえるかもしれませんが、先にも述べた坂本さんの音楽家としての誠実さゆえに実現されているといえましょう。
タランティーノについては初期作品からマシンガントークや登場人物同士のダラダラと続くなんてことはない会話が有名ですが、作品の時間の中にそのような淀む時間、一方向に流れているのではない時間が流れるといいなあと思い、坂本さんに関連のある言葉として入れてあります。
言葉によって設定されたいくつかのコンテクスト、それらのコンテクストにおいてこそ実現しうる楽器の音、
言葉と音との対応、言葉によってこそ示すことのできる内容、しかしながら言葉からはこぼれ落ちてしまう内容、
坂本さん自身の身体に固有の響きやそうではない響き、
フィクションとノンフィクションの狭間で揺れ動くもの。
そうしたもの全てをあるひとつのチューバ/テューバについての、あるいはチューバ/テューバという楽器総体についての物語として、
坂本さんのチャーミングな演奏を通じてお届けできたら幸いです。